照喜治さんと私9。

屋根に覆いかぶさるようにブーゲンビリアが咲き誇っていた
気になっていたことがあった。

帰り際、門を通って、家屋と離れの間にある通路で、照喜治さんと二人きりになった時に思い切って告白した。

「自分は、ユニクロ出身です。」

株式会社りょくけんとFRフーズ(SKIPを運営した、ファーストリテイリングの子会社)は、SKIP解散の際、穏便に契約を解約した。
が、それとなく、照喜治さんとはそうでもなかった、と聞いていた。

FRフーズの柚木社長は、会社に、たくさんの優秀な人材が集まり、外注先として、MDに糸井重里さん率いる東京イトイ事務所、商品の供給元として(株)りょくけん、さらに永田照喜治という農業界のカリスマ的な後ろ盾を得て、この事業は絶対成功すると思ってしまった、と聞いている。
実際、SKIP松屋銀座店の初日の売り上げは200万を超え、オープン日には、NHKを除く日本テレビ、フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京、TBS(順不同)すべてで放映され、9㎡の店を二重三重にレジ待ちのお客様が囲んだ。
その後も、80万円くらいの日商が2か月続いた。
だが、オープン景気は、長くは続かなかった。

その理由や考察は、また今度の機会に委ねるとして、だんだんと予定した売り上げに結びつかなかったSKIPは、外注先との契約の見直しに入った。
糸井さんとも契約をやめ、照喜治さんとも顧問契約をやめてしまった。

初めてお会いしてもすぐに分かったが、照喜治さんは独特の雰囲気で、周りを尊敬させる特有のオーラがあった。
が、おおよそ交渉が通ずる方ではない。

イケイケドンドンの時は、雰囲気よく進むが、いったん良くない方向に進めば、テーブルにはつかない、というか。。。

残念ながら、法的にきちんとした段取りだったと思うが、お互いが人として納得するような形には収まらなかったのだと思う。

だから自分がユニクロ出身であることは、半ばアンタッチャブルなのではないかと危惧していた。

照喜治さんは少し立ち止まり、短い沈黙を置いて、視線を下にしたまま、ボソッと口にした。

「エフアールさんとは穏便に終わりました。」

「!?」

「また勉強にいらっしゃい。お茶をご馳走します。」

ほっとして、なんだか大仕事をした気持ちで、先輩の待つキューブに乗り込んだ。

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