向かうは、舘山寺。

ずっと行きたかった三鞍の山荘を後にした私は、ここもまた行きたかった、舘山寺に向かった。
「今から畑に遊びに?行ってよいですか?」とメールすると、
「歓迎します。」とすぐにメールが帰ってきた。

りょくけんの創始者の一人、元社長の永田次郎氏である。

この業界において、私の父と言って良い。

いろいろあったから、現スタッフには、こころよく思っていない人もいるだろう。
その気持ちは、心の底から共感するし、痛いほど分かる。

いまだに、涙も出る。

それでもなお、私の会社やお店が「りょくけん」を名乗れて、今があるのは、次郎さんのおかげであることに、疑いの余地は無い。

戦国時代、京都を目指した武田軍と徳川軍が戦った古戦場、三方原台地を越えて、浜名湖のほとりに、舘山寺(かんざんじ)という地域がある。
上り下りの多い地域で、三方原台地と同じ赤土に見えるが、いろいろと条件が台地より悪いらしい。
温泉も有名で、浜名湖でとれるうなぎやあさりなど海産物も美味しい。

次郎さんは、会社を引退後、現在は農業にいそしんでおり、この3年間ほど、さまざまな作物を栽培し、何がこの地に合うのかをテストしてきた。

その結論が、さつまいも。

生でも売るが、干し芋にして販売するという。
実際、銀座のりょくけんでも販売すると、非常に好評で、干し芋というものの強さを見た。

言われたもの、何でも作るよ、といってくれたので、プチヴェールとケールを栽培依頼している。

例によって、私は道に迷ったので、近くの直売所で待ち合わせ、畑に向かった。

久しぶりの再会。
白イチジクの木の前で、剪定について語る次郎さん。

弾丸トークは相変わらずだが、前回あったときよりも、若返った感がある。
縛られてきたものから解き放たれて、本当に好きなものを好きなだけ栽培している感じがある。

「阿出川が亡くなった時分はね、ちょっと体調も悪くなったけれど、今は大丈夫だ。農業やっているし、自分で育てた野菜をずっと食べてるから!野菜食べてれば、健康だよ!」
確かに元気。

すげえ~と思った。

耕作放棄地が多く、そこら中の方から、借りてくれ、といわれるそうだ。
畑をいくつか見たが、どこも、かなりきちんと手を入れている。

草をはやしたままにしないのはもちろんだが、風が強いので、周りをネットで囲んでいるし、害獣よけのネットを上に張ったり、マルチ(=農業用のビニールシート)だってかけている。

隣接する畑で、そこまで手をかけている畑は皆無だった。

育てているというよりは、植えただけのキャベツと玉ねぎばかりだった。

ご自宅の前の畑を見ている際、息子たちが喜んで走り回って遊び始めると、「ちょうどいいじゃん。のって。」と僕を車に乗せて、出発してしまった。

「だいじょうぶ、孫の世話に慣れているから、任せておけば。」

次郎さんの奥様に私の暴れん坊3人の世話を任せたまま、30余分、私は畑を回ってしまった。
次郎さんには7人のお子さんがいて、その全員を奥さんが一人で育てたようなものらしいので、それは良いけれど、さすがに奥さんに悪い気がした。

「・・・大丈夫かな。」

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