りょくけんとトマト。

身土不二(しんどふじ)という言葉がある。

体とそれが育つ土地は分かつことができない、という意味だ。

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1990年代から野菜の消費量自体はあまり変化がない。

ところがその内訳をみると、輸入野菜が増えているのが良く分かる。外国産の野菜が、スーパーで売られているのはあまり見ないが、外食や中食には盛んに使われている。日本人は知らず知らずのうちに輸入野菜を口にしている。

「そういう意味では、りょくけんは食文化の向上に寄与できたのかもしれない。」

7年前に、この会社の門をたたいたころ、一週間に一度は、社長と東京に出張に来ていた。銀座の松屋百貨店との商談のためだ。赤電を駆け下りて、浜松駅構内に駆け込むと、新幹線の改札前で、必ず社長が待ってくださっていた。うなぎ弁当とお茶をもって。そこから2時間。社長は、いつもしゃべり通しだった。そこで、りょくけんの歴史や考え方をたっぷり学んだ気がする。

「たくさんの輸入野菜がある中で、トマトだけは、輸入物が今までなかった。

日本のトマトの品質が高く、外国ものが市場に参入できなかったからだ。

りょくけんは、少しはそこに貢献できたのかな。」

はばからずに言えば、日本のトマトのレベルは世界一だ。世界のどこに行っても、糖度を気にして、ましてや糖度を機械で測定して栽培する国は無いし、生で食べる国も少ない。

「会長は農業をやっていたが、オレはやる気はなかった。野菜の値段は、何で決まるか、わかるか?」

「?」

「量だ。」と社長。

「要するに、市場にたくさん野菜があれば安くなるし、少なければ高くなる。

そんな、自分で値段が決められないような商売は、男がやることではない、って思ってた。」

要は、農家は、どんなに苦労をして、こだわりをもってつくっても、自分たちで値段をつけられなかった。

会社を興して数年したころ、日本のトマト業界に衝撃の品種が生まれた。

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「ファーストトマト」である。

それまで、トマトはサンドイッチにははさめない、というのが業界の常識だった。種の周りのゼリー部分が垂れてぐちゃぐちゃになってしまうからだ。ファーストトマトは、果肉がしっかりしていて、ゼリー部分が少なく、液だれしにくかった。多くの支持を受けたファーストトマトは瞬く間に人気品種になった。

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社長は、そのファーストトマトに着目した。なんとか、野菜を量ではないもので値段をつけたい、と画策した。量ではないもの。すなわち品質だ。「美味しい」ということで自分たちで価格をつけたい。行きついたのが、「糖度」という考えである。

社員全員で、ファーストトマトを試食し、「あ、甘いな。」と思う糖度を設定。当時、6度だった。それ以上の糖度のものは、完熟トマトとして、自分たちで値段をつけて販売した。

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しかし、トマトの糖度を測るには、切らなくてはならない。だがそれでは商品にならない。そのため外観で判断していた。ヘタの周りに緑が残り(ベースグリーン※と言う)、おしりからきれいに黄色の線が入り、持つとズシリと重いもの※。これが基準だった。

ところが、やはり絶対ではない。

社長は、なんとか切らずにトマトの糖度測定をする方法はないか画策した。

施設園芸の先進国であるオランダにわたり、糖度を測定する機械を作ってくれ、とメーカーに依頼もしたが、機械どころか、「トマトの糖度を測ってどうする?いやいや、そもそもトマトは甘いものではないだろう?」と全く理解が得られなかったらしい。

そんな苦労をしたが、なんのことはない、しばらくして、日本のメーカーが「非破壊糖度センサー」を開発した。トマトに赤外線を当て、反対側から出てきた赤外線がどのくらい乱れるかで糖度が分かる。

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今でこそ、「糖度センサー選別」をうたうくだものが多いが、当時は皆無で、機械も高価で、ウン千万したと聞いている。

こうして、トマトの品質による値付けが確固たるものになった。

さらに、80年代に生まれた桃太郎トマトは、トマトの高糖度化に拍車をかけた。

それまで、トマトは畑で赤くすると流通できなかった。運ぶ途中でつぶれてしまうからだ。ところが、桃太郎は、赤くしても※つぶれない。

あまり技術がなくとも、糖度の高いトマトが栽培可能になったのだ。

りょくけんでも、これを受けて、糖度基準を1度上げ、7度以上を完熟に再設定した。

今につがなる、りょくけんマルトマトの誕生である。

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原生地の環境に近づけることで、野菜本来の味が引き出せる。トマトの原生地は南米のアンデス高原で、カラカラに乾いた石ころだらけの場所だ。そのため、水、肥料をできるだけ抑えたほうが、糖度が高くなる。

そんな栽培技術と「完熟トマト」をセットで、特許を取ろうとしたが、「完熟」と「トマト」という特異性のない名称だったため、特許は取れなかった。

やがて、その栽培理論と技術は全国に広がり、新たに「フルーツトマト」※というジャンルになった。

「糖度の高いトマトの市場を独占することはできなかったけれど、かえって全国に広まったことで、日本の食全体のレベルアップにはなったのではないかな。」と社長は言う。

会社が創立して40年。

銀座に直営店を出して7年になる。

今月末には、渋谷にもう2店舗、同時に出店する。

安全で美味しい野菜くだものを提供し、食文化の向上に貢献いたします。

りょくけんの社内外への誓いの一つ。

新たなステージに飛び込むが、これからも、この言葉は大事にして行きたい。

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