義山さん2。

農場の看板もついた倉庫。
木造の倉庫はかなり広く、右側に冷蔵庫、左には事務室か休憩室もあった。

「シーズンには、ここにいっぱい段ボールが積まれてる。」と名古さん。
12月は、まだ収穫物が少なく、年明けのじゃがいもが始まると、かなりの在庫数になるようだ。

奥の冷蔵庫から、義山さんがにんにくと黒にんにくをもってきてくださった。

「これは、地元の品種ですか?孫子(まごこ)も付きます?ちょっと皮は紫色っぽいですかね?」矢継ぎ早に質問した。
「そうそう、"あまみゆたか"っていう品種。」
"甘さが豊か"と思ったが、いや、それもあるかもしれないが、奄美群島に伝わる古くからの品種だそうだ。

「ちいちゃいの、着くよ~。でも、そういうのがついていないのを種として残して、更新してるから、だんだん少なくなってきたよ。」

なるほど、F1品種ではない。
固定種だから、自家採種して、良いものを選抜して、翌年に植えているから、少しずつ、小さすぎる片はなくなっているようだ。

「あれ、なんだっけ、青森の?」
「"ホワイト六片"ですよね。」
「そうそう、あそこまで大きな片じゃないし、20片くらいは着くけれどね。」
「あれは、もともと中国の品種らしいです。上手に交配して、日本で、ああいう大きな1片になるように改良していったそうですよ。」
「へえ~」

収穫時期は5~6月。

実は、とても好都合。
りょくけんでも、青森のにんにくを扱っているが、6~7月にかけて、どうしても供給が切れる。
収穫から1年が経ち、休眠を終えて、芽が出てしまい、その後、腐ってしまう。

青森から、はるか南では、その切れる時期に、供給が可能。

自家用の黒にんにくをさっそく食べさせてもらう。

黒く熟成した黒にんにくは、にんにくの臭みがなく、フルーティーで美味しい。

にんにくは、古くから、徳之島では作られていたようである。
栽培が少なくなってきたが、本州の産地が切れる時期に栽培しているため、最近になって、大手メーカーが入ってきているそうな。
にんにく卵黄だとか、にんにくの薬効に着目して、健康食品を作るメーカーさんたちが、原料の契約にやってくる。
義山さんもかなり大きな契約をして、供給しているらしい。

「ぜひ、僕らにも譲ってください。あまり(取引量は)多くないですが、料理に欠かせないので。」

りょくけんの一番人気のデリカは、バーニャカウダである。
このソースには、にんにくが欠かせない。

「農薬はどのくらい使用するんですか?」
「にんにくは、ほとんど使わないかな。夏場に栄養剤を入れるくらいで。」
「本当ですか!?」
「え?」
「ミニトマトは?」
「あれも、2~3回やれば、多いほうかな。」
「そんなに少ないんですか!?」
「え?少ない?」

義山さんは意外だったようだ。
同じ(?)九州であれば、半年の栽培期間で、40~60成分ほどの農薬散布が、慣行である。
2~3回の農薬散布は、たとえ、成分数が1回につき、複数だったとしても、極めて少ない成分数だ。

「え?そんなに多いの?」
ほかの九州地方の慣行基準を伝えたところ、義山さんは驚いたようだ。

少し考えてみる。

「夏作はするんですか?」
「しない。いや、できない。」
「それですかね~。休耕する一定期間があるのと、風や台風のおかげで、一回リセットされるんでしょうね。」

熊本や宮崎では、周年栽培を行う。
まっさらになる時期は、ほぼ無いから、病害虫が繁茂してしまうのだろう。
それを防ぐために、薬剤が必要なのだと思う。

沖縄や徳之島の夏の暑さは、厳しい。
外の炎天下で、仕事がでできるほど、甘くない。

「ちなみに、かぼちゃは作らないんですか?」
「かぼちゃ?昔はいっぱいみんな作ってたよ。ここ数年で、みんな作らなくなったな~。」と義山さん。
「何でですか?」と聞くと
「沖縄よ~」

同時期に出てくる沖縄産のかぼちゃに、負けてしまった、ということらしい。

徳之島は離島である。
関東に持ち込むまでに3~4日かかる。
当然、費用もかかる。

沖縄はさらに南なので、日数も、運ぶコストもかかりそうなものだが。

ところがそうでない。

運賃コストについて、政府から補助金が出るため、比較的、安価に運べてしまうのだ。

「あ、米軍基地の助成金ですか、、、」
「そうよー」

なるほどなあ、と思った。

いろいろな事象には、それぞれ理由があるものだ。

じっくりと話している間に、お父様もいらっしゃり、お母様もいらっしゃった。
物静かなお父様に、話すことがとても好きそうなお母様。

お母様は、自分たちが作る収穫物にも大変誇りをお持ちのようだった。
「徳之島のじゃがいもは美味しくてね。にんじんも甘くてね~。足怪我したから今年は作れなかったけれど、、、」

話は尽きないが、17時ごろになったときに、名古さんが、そろそろ行きますか、と切り出した。
名残惜しかったが、義山ファミリー農場を後にすることにした。

「ホテルまで車で送りますよ。そんで、また夜、会わせたい人もいるから、ご飯でも食べましょう。」

伊仙町から、宿泊先の徳之島町へ。
車で20分くらいの道のりだった。

「18時半ごろ、また迎えに来ますね。」といったん分かれた。

コメント

人気の投稿