勝手にシンパシー。

沖揚平で初めてお会いした農家さんが、山田さんだった。

山田さんは、神奈川県藤沢市のご出身。
かくいう大森は、隣の茅ヶ崎市出身。

歳は6歳違いだから、中学校も小学校もかぶっていないけれど、親近感が生まれたのは言うまでもない。

大学で国際経済学を学んだ山田さんは、卒業後、海外青年協力隊に入って、アフリカのボツワナで、農業指導に携わった。
帰国後、農業への新規就農を目指し、複数の産地で研修をした後、沖揚平を選んだのだと言う。

恥ずかしながら、私は、外国語学部。
ポルトガルが専攻だった。
留学から帰ってきて、就職活動中に、なんとなく外交官に憧れ、でも学力が追いつかないから、在外公館派遣員※を受験。
モサンビークの日本大使館に派遣される最終試験まで進んだ。

いろいろな方に相談して、アフリカに行くのはやめてしまったのだが、今、こうして、曲がりなりにも日本の農業に携わっている。

山田さんに、妙にシンパシーを感じてしまうのは、避けられないことだった。

沖揚平を通る道は一本しか無い。
ーと言って良い。

脇を通る道がいくつかあって、そのひとつを行くと、山田さんの畑の拠点に辿り着く。

建物の前には、大きなトラクターなど農業用の機械がいくつか並んでいる。

山田さん。7年前。沖揚平にて。

初めてお会いしたときには、送料の問題だったり、レタスやキャベツの出荷の最盛期で、繁忙期の新たな取引は難しい状況だった。

それが、今年になって、初めて、とうもろこしでお取引ができた。

9月、同じ青森の嶽きみが終わった後、ちょうど、山田さんのとうもろこしが始まるのだ。

嶽高原から沖揚平へ。

今回はその御礼とともに、来夏に向けての取り組み、そして目先の冬の、気になる作物の交渉をするためだった。

でも、建物には、山田さんは居なかった。

「山田君はここにはいないよ。」

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