新潟・吉川にて。

 東京駅から越後湯沢駅までは、文字通り、あっという間である。

お店の、来週の作成数をまとめていたら、あっという間に着いてしまった。

田中角栄や当時の工事担当者さんたちは本当に偉大だなあと改めて思った(賛否あると思うけれど)。


新幹線を降りると、東京よりも5度くらい低いのだろう、「寒っ」とつぶやいてしまった。

大学の友人と自分の家族でスキーに来て以来だ。


駅構内の人出はまばらだったけれど、お土産物屋さんがとても豊かで、食べるところもたくさんある。

すっかり油断した。


駅を出ると、山々には雪がまだ残るのが見えた。


あまり気にしないようにし、レンタカーを借りて、いざ吉川へ出発。


久々の軽自動車。

坂道を上るときのパワーがない。

高級車に、ずっと後ろから付かれた。

山越えはなかなかだ。

ラジオも雑音ばかりで、電波がずっと届かず。

道路の両脇には雪が1~2mほど積まれていて、気温が高くなっているのか、湯気が出ているのが分かった。



山本さんとは13時に待ち合わせ。


お昼を食べる時間は十分にある。


「そばが食べたいな~」なんて思っていたが、、、何もない。


峠をいくつか越え、吉川に着いてしまった。

町に着いたから、どこか食べる処があるだろうと探したが、無い。


ついに見つけた!と思った蕎麦屋さんらしい構えのお店は、居ぬきで入ったシフォンケーキ屋さんだった。

元々のお店の100分の一くらいしか活用できていないのではないかというスペースにシフォンケーキが積まれていたので、三つ購入。


頬張った。


13時ちょうどに、広い広い吉川区の一画、片田に着き、山本さんに出会えた。

どこからどこまでが山本さんのお屋敷なのか、分からないくらい広い…。


山本さんは、りょくけんや健菜の創始者である永田照喜治の一番弟子と言われる方。


”永田農法”とか”緑健農法”と言われ、後者については農文協さんから書籍もまとめられ出版されているけれど、照喜治さん本人は、決して良くしゃべる方ではなかった。

印象的な言葉を残すけれど、解読が必要というか…。


山本さんは、その言葉を解読し、自分たちなりに解釈して、実践できた方だから、照喜治さんも頼りにしたんだと思う。

主に山間部のお米農家さんを組織し、永田農法研究会を立ち上げ、”健菜米”を作ってきた。

増減もあったが、2025年現在、11名のメンバーが所属する。


山本さんが居を構える周辺は、吉川区では大変珍しい平野部分。

山間部も含め、重粘土の赤土で、作業性は劣るが、我々が大変好む、美味しいものが取れる。


私としては、屋敷のすぐ裏は、ちょっとした宝箱みたいなものだった。


タラの木があり、タラの芽がちょうど取れ始めたところ。

木の枝の先に、確かにタラの芽が生っていた。


畑には、アブラナ科の植物。

菜の花の一種と言って良いだろう、吉川では”冬菜(とうな)”と呼び、三月菜と五月菜がある。

桜が咲き始めた今は少し早めの五月菜。

アブラナ科らしい、旨みと甘みがあって、美味しい。



「これもうまいんだよ」と案内されたのは、アレッタ。


三重県生まれのブロッコリーとケールを掛け合わせた野菜。

アブラナ科同士の掛け合わせだから、これも一種の菜の花か。

美味しいのはよお~く知っている。


今年は、お願いしている産地であまり取れなかった。


その向こうには、ビオレソリエスの木があった。

果肉が美しく、とても美味しいイチジクだ。


「もしかして、照喜治さんのイチジクも植えてますか?」

「あ、あります。まだ実はならせてないけれど。」

「!」


「福島の在来のイチジクもあります。」


面白くなってきた!

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