大分杵築の夕暮れ2。

私が入社したころ、山﨑さんが作っていたのはカンパリ=ミディトマトだった。
山﨑さんの作るカンパリは、出始めこそ、さほどの食味ではなかったけれど、冬を超えて、2月くらいからは絶品のお味で、本当に美味しかった。

「美味しいって言われるんだけれど、お値段はずっと同じで、美味しくても美味しくなくても、変わらない。なんていうかな。ちょっとなえてたよね。」

当時を振り返って、そんなことを言われたことがある。
ミディトマトの畑

相場に左右されない契約単価で、月ごと、サイズごとにお値段を決めていた。
ちょうど、ミディトマトの受難が始まったころで、その憂き目に逢ってしまっていた。

ミディトマトは、大玉の食味とミニトマトの甘みを持ち、生まれたばかりは、市場単価も良かった。
ところが、収穫が楽で、農家の負担が少ない、ということで、一気にお値段が下がってしまった。

「だってミニトマトより収穫自体、楽だし、収穫量も多いよね。じゃあ、お値段も下げましょう。」

というのが、市場からの評価で、残念ながらりょくけんも、その流れに追随してしまった。

農家としての山﨑さんのモチベーションは下がってしまった。

そんな折、りょくけん松屋銀座店が誕生。
はっきりと差別化されたミニトマトを作りたい、と思い、夏は北海道の中野さんに、冬は、山﨑さんにお願いしようということになったのだ。
店がオープンしたばかりのときは、静岡の菊川に、ほぼ自社農場のルーツファームがあったので、そこで栽培していたけれど、3年で廃業したので、山﨑さんに白羽の矢を立てたのだ。

初年度は、カラーのミニトマトも、ミニトマトもほしかったので、今まで、一品種しか栽培していなかったハウスに、4種類も植えさせ、管理してもらった。
あまっこ(ミニトマト)
イエローミミ
オレンジパルチェ

いちごトマトに、赤いミニトマト、オレンジミニトマト、そしてイエローミニトマト。
山﨑さんが作ったものはすべて販売していたから、栽培も売るのも大変で、2年間やって、断念。

次の年は、ミディトマトといちごトマトだけを作っていただき、これまたすべてを私どもで引き取り、販売していたので、これも大変だった。
2011年から、山﨑さんは、いちごトマトだけの作付とし、ここから、好循環になった。

「おれも大変だったけれど、ベリーを作るようになって、なんていうかな。農家としてやる気になったていうか。良かったって思っとるんよ。」

何年か前に、訪ねたときに、そういわれて、私も嬉しかったのを覚えている。

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