母親を顧みた週末2。

 父が駅まで車で迎えに来てくれ、それに乗り込んだ。

「今すぐどうの、ということはないけれど、ちょっとまあ、見ていって。実際、目にすれば、なんとなく分かるだろうから。」


辻堂駅は茅ケ崎と藤沢の境目にある駅で、昔はお世辞にも栄えている、とは言えなかったけれど、立派な建物になったと本当に思った。


実家に着くと、母は窓際で足を延ばしてひっそりと日向ぼっこをしていたが、私が部屋に入るなり、ゆっくりと立ち上がり、ゆっくりと歩いた。


擬態語で言えば、ヨボヨボ、と。


あ、こういうことか。


私が、43歳。

29歳の時の子だと聞いているから、72歳。

昔なら、相当な年かも知れないが、今なら、まだまだ。

実際に母もまだ教師として衆の半分は現役で働いている。


「ちゃんと歩こうと思えば歩けるんだけどね。転ぶのを抑えようとするとこういう歩き方になってしまうの。」

母は声楽が専門である。

だから、声だけ聴くと、まだまだ若々しいのだが。。。


「はい、こどもたちの話を聞かせて。幸せそうな。」


というので、四人の愚息のそれぞれを話したり、ちょうど、二期制の前期が終わったところで、上の二人の通知表も持ってきて見せた。


親が言うのも何だが、なかなか優秀な二人である。

今のところ、文武両道の良い成績を修めている。


ときおり、フッフッと笑いながら、通知表に目を通していた。

「らしいわね。なんだか。」と母。


「小学校の成績表ほどあてにならないものはないんだけどな!それだけ評価が難しいんだが。」と父。

両親ともに中学の教師。

茅ケ崎の中学は、相対評価なので、全体の何パーセントが5、何パーセントが4、と割合が厳格に決められている。

否が応でも、必ず差をつけなくてはいけないので、厳しい評価がつく。

そんな経験が手伝うのか、せっかく良い成績だと言うのに、”あてにならない”なんて、、、


銀座店で購入した、お茶を淹れて、高徳も剥いて、母に食べさせた。

期待したような蜜入りではなかったけれど、食味はやっぱり良かった。


しばらく話した後、母はまたヨボヨボと歩き、隣の部屋の寝床に入ってしまった。


父のよると、この繰り返しらしい。


5分ほど座って話したと思うと、10分ほど横になって休む。


父と母の二人暮らし。

これはお互いに厳しいかもしれない。


運動不足と心のバランスを感じたので、「散歩でも行こう。」と誘うと「夜に、闇夜に紛れてやるわ。」なんて言うので、「いや、日に当たったほうが良いよ。」と提案。

「こんな格好で?」と言った後、思い直したのか「そうね、帽子とマスクすれば良いか。」とノソノソと部屋を出ていった。

しばらく父と話していると、帽子を目深にかぶった母が部屋に現れた。


「良い?ゆっくりだからね、ゆっくり。」


散歩に誘ったことなどすっかり忘れてしまっていたが、「あ、行くの!? OK、じゃ、行こう。」と外に出た。


私には2歳半の四男がいる。

つい数か月前まで、トコトコ歩きだったので、連れ添ってゆっくり歩くのは慣れている。


町の一区画を一周して、家に戻った。

「ここはだれだれの家で」、「ここは昔、何もなくて」、「最初に買った家はここで」


頭は大丈夫のようだ。

ヨボヨボではなく、きちんと歩こうと思えば歩けるようで、スタスタ歩くときもある。

ただ、転倒しそうで怖いらしい。


家に戻ると、母は再び、寝床に横になった。


お茶を飲み、実家を後にした。


「自律神経とか、ホルモンバランスの不調のように、僕には見える。」と駅までの車内で父と話した。

「まあ、ストレスだね、最初の原因は。」

「父さんもまあ、無理しないように。気を付けて。」


そう言って、辻堂の駅で父とも別れた。


周りが、ぼちぼちそういうことも起きているので、私だって例外ではなかろう。

そういう覚悟はできているつもりだけれど、まだ少し早い、とも思っている。


さてさて、どうなることやら。

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