虎雄さんと生三さん。

「そういえば、こないだツアーで優勝した稲森選手。鹿児島出身でしたけど、お知り合いだったりするんですか?」

「ええ、ええ、はい、稲森選手。うん、僕もそのツアー参加してて。稲森選手の5つ前の組だったかな。優勝争いしている選手たちが、最後の組を回るんですが、僕は1,2,3、…5つ前だったかな。飛距離はね、僕の方が出るんですよ~」

11月末だったか、12月中に、沖永良部島の畑を訪ねたい旨を、相談しているときのこと。
そういえば、ご存知かな、というくらいのつもりで、芋高さんに電話越しに尋ねた。

芋高虎雄さんは、沖永良部島出身で、鹿児島市内に出て、農産物を販売する会社を立ち上げ、経営している。
プロゴルファーでもある。
プロゴルファーであることは知っていたが、まさか、社長業もやりながら、ツアーにも参加している現役だとは思わなかった。

8年ほど前に、東京で知り合い、すぐにお取引は始めなかったが、ちょうど、徳之島で「もうでじまは作らない。」と言われたタイミングで、芋高さんが沖永良部島で「でじま」を作るということを聞き、飛びついた。
芋高さんは、芋高家の次男で、お父様とお兄様が沖永良部で農業をやっている。

「自分、案内しますよ。」と芋高さんが言ってくれたのだが、なかなか都合が合わない。
私は勝手なので、「大丈夫です、ひとりで伺いますから。」と単身、沖永良部島に乗り込んだわけだ。

お父様とは初対面となるので、それなりに緊張していたし、時間も守って、ご迷惑が掛からないように、なんて思っていたのだが、「いない」と言われ、困惑した。

沖永良部島は、粘土質の赤土が島を覆う。
だからこそ、じゃがいもが美味しく育つ。

ところが、ひとたび雨が降ると、粘りに粘ってしまい、畑で作業が進まない。

「雨が降りそうだから、って畑に出てしまったんですよ。」とお母様が説明してくださった。

困っていると、携帯電話を取り出して、お父様に電話し始めた。

なんと言っているかは、正直、分からない。
しかし、すぐに、私に代わってくれた。

「雨降って来る前に、芋の土寄せをしなくちゃいけなくてね。でも、夜。今晩、ゆっくり話しましょう。」
「あ、あの、畑を見たいし、写真も撮りたいんですけど…。」
「明日は何時のフェリーで島を出発するの?」
「えっと、飛行機で那覇に行くんですが、9時半くらいだったと思います。」
「じゃあ、7時に待ち合わせて、畑を一緒に回りましょう!ね、それで良いでしょう。宿泊はどちら?」
「えっと、シーサイドホテルだったかな?」
「あ、シーワールドホテルね。近くだから、18時半に迎えに行きますから。じゃあ、そういうことで。あ、ところで大森さんはいくつなの?」
「41歳です。」
「あ、そんなに若いの。もっと年取った人が来るのかと思ってた。じゃ、18時半に、ホテルで。」

取りつく島もなかった―。

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